あるべき場所にある美しさ

インテリアにおいて「場所」というのも大切になってくる。調度品をどの場所に置くか、それだけでその調度品がインテリアとしてどのように活きてくるか決めると言っても過言ではない。たとえばイタリアの貴族の館にあるような椅子に使われているパウダーっぽいゴールドは暗がりの中でボーッと浮かび上がって見えてこそ味わいがある。夜だったら、キャンドルやシャンデリアの揺らめくような光の中で、闇の中に光を受け止める姿がゴールドの良さを引き立てている。「あるべき場所にある美しさ」って本当なんだなということが、実感できる。ところが明るい陽光に曝されると、それこそ歳とったおばあさんの厚化粧になってしまう。日中、レースのカーテン越しに見るものではない。昼間の陽射しが強い時には、重いカーテンを閉めた方が良い。谷崎潤一郎の『陰弱礼讃」の中にも、日本の金の使い方に触れているところがあって、そこでもゴールドが蛍光灯の光の下や明るい陽射しの中にあるというのは、下品の極みであると表現されている。モノにはそのモノが光る在り方というものが存在する。

デザインする自身の「体感」

石の建物の、天井が高く、北向きの細長い窓に、重いカーテンが掛かっている部屋の中で、暖昧な輪郭に浮かび上がるゴールドは美しい。青味がかった深い緑のカーテンや貼り生地は、その補色だ。大胆な色使いをして、そして深く鎮めることによって重厚さを出す。この手法によって光るゴールドは言葉には出来ない荘厳な雰囲気を醸し出す。そういうことがわかっていれば、ゴールドを使う場所に窓の広い面をとることなど、絶対にないはずだ。「その人のセンス」と言ってしまえば終わりだけど。大袈裟かもしれないが、住まいという場所には世界中の情報が凝縮される。そこに暮らす私たちはといえば、世界中の情報をすべて知り、理解しているわけではない。異文化を理解せずに、ちぐはぐなものに囲まれて暮らすことは、たとえそれがどんなに高価な家や家具であったとしても、豊かな暮らしとは言えない。そうならないための責任が、建築家やインテリア・デザイナーにはある。この仕事を目指す人たちに、忘れてもらいたくない大事なことだ。そのモノがどんなに高価であれ、立派なものであれ、そんな事は全く大事ではない。他のモノとの調和、そのモノの置き場・活かし方、そしてそれらのデザインをする自身の「体感」これらがインテリアにおいてとても大切である。

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